第1話 はじめまして、宮崎ニアショアセンター長の青柿です
宮崎ニアショアセンター設立史シリーズ 第1話(下書き)
はじめまして。グローバルイノベーションコンサルティング株式会社(GIC)で宮崎ニアショアセンターのセンター長を務めております、青柿光祥(あおがき みつよし)と申します。今回からこのブログで、宮崎ニアショアセンターがどのように生まれ、どんな日々を積み重ねてきたのかを、少しずつお伝えしていきたいと思います。第1話となる今回は、まず私自身の自己紹介から始めさせてください。
映画館の暗闇から始まった、少年時代
私は兵庫県神戸市の生まれです。県立神戸高等学校を卒業後、1年間の浪人生活を経て、19歳のときに上京し、東京の電気通信大学に進学しました。高校時代はラグビー部に所属し、3年間、全国大会・花園を目指して兵庫県予選を戦いましたが、毎年決勝で涙をのみ、あと一歩のところで届きませんでした。
そのころの私を語るうえで欠かせないのが、映画と演劇への熱中です。小学校6年生のとき、映画館で観た「小さな恋のメロディ」がきっかけで、すっかり映画の世界に魅了されました。チャップリンの「独裁者」や「キッド」、ジョン・ウェインやジュリアーノ・ジェンマの西部劇、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」「おしゃれ泥棒」、ソフィア・ローレンの「ひまわり」、チャールトン・ヘストンの「ベン・ハー」……当時はテレビでも「日曜ロードショー」などで週に何度も洋画が放映されていて、あらゆるジャンルの作品を浴びるように観ていました。
その延長で、学生時代には映画のエキストラのアルバイトも経験しました。松田優作さん主演の「野獣死すべし」や、石田純一さん主演の「鉄騎兵、跳んだ」などの撮影現場に立ち、ロケの合間に松田優作さんご本人から演技指導を受けたり、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカル・前野曜子さんに声をかけていただいたり、熊谷美由紀さんとお話ししたりと、今思い返しても楽しい思い出ばかりです。やがて自分でも劇団を旗揚げし、「銀河鉄道の夜」を上演するに至りました。当時から人間観察が好きだったのだと思います。公演は、まずまずの手応えでした。けれども、千秋楽の翌朝、神戸の大震災が起こり、実家は全壊しました。それを機に、演劇からは自然と遠ざかることになり、現在に至ります。
商社マンから、20年の海外行脚へ
大学卒業後、就職先を決める段になって、実は少し迷いました。学生時代、香港に赴任していた姉夫婦のもとへ遊びに行ったことをきっかけに、海外への関心が強くなっていたからです。結局、メーカーではなく、三菱電機系の商社に就職し、セールスエンジニアとして産業用の工作機械や産業用ロボットの拡販に携わりました。
その後、バブル崩壊後の急激な円高のなかで、生産委託先の工場を海外に探す仕事を任され、台湾・韓国・中国など、製造業の現場を数多く訪ね歩くことになります。海外志向の強かった私にとっては、まさに渡りに船でした。さらにキャリアチェンジを志して大手生命保険会社の営業支部長も経験したのち、2003年からは製造業の現場改善を専門とするコンサルティング会社に転じ、東京で12年、タイに8年、あわせて20年にわたって日系製造業200社以上の工場診断に携わりました。日本全国、そして海外で、数百社の経営層の方々にお会いしたと思います。あちこちを訪ね、さまざまな経営者に会えること自体が楽しくて仕方ありませんでした。振り返ってみると、私はきっと「人に会える旅」が好きなのだと思います。
半世紀来の友との再会、そして宮崎へ
GIC代表取締役社長の岩永智之とは、電気通信大学の同期で、ラグビー部の主将と副主将という間柄でした。卒業後も折に触れて酒を酌み交わす仲を、かれこれ半世紀近く続けてきた、義兄弟のような存在です。彼が日本IBMからDCRへ転じた経緯も、GICを立ち上げたときのいきさつも、そばで見てきました。設立の際には、私も少しばかりの出資と、お手伝いをさせてもらいました。
とはいえ、私自身のキャリアは一貫して製造業畑を歩んできたもので、IT業界との接点はほとんどありませんでした。大学では情報通信系の学部でアセンブラやFORTRANといったプログラミング言語を学んだ経験こそありますが、その後のIT業界がここまでの広がりを見せることは、当時は想像もしていませんでした。
そんな私が転機を迎えたのは、前職を定年退職し、「さて、これからどうしようか」と思いを巡らせていた矢先のことです。岩永から声をかけてもらったのが、GIC入社のきっかけでした。ちょうどそのころ、GICはサウジアラビアの案件を受注しようとしており、私も現地へ赴く話が持ち上がっていたのですが、幸いにも(というのも変な話ですが)その案件が流れ、代わりに宮崎ニアショアセンターの立ち上げ話が動き出しました。そのタイミングで入社し、センター長を拝命することになったのです。
岩永とは、いつかどこかで一緒に仕事をする日が来るだろうと、心のどこかでずっと思っていました。人生も終盤に差しかかったこの時期に、こういう形でふたたび同じ釜の飯を食えることになったのは、感謝しかありません。
100人のミャンマーの仲間たちと
2024年7月にGICへ入社し、翌8月、宮崎ニアショアセンター長に就任しました。まずは住民票の転入手続きや銀行口座の開設など、宮崎での暮らしと仕事の基盤を整えるところからのスタートでした(このあたりの立ち上げ期の話は、また改めてご紹介します)。
現在、宮崎ニアショアセンターには、20歳代後半のミャンマーの仲間たちが100名ほど在籍しています。長らく人間観察が好きだった私にとって、彼らミャンマー人材とともに働けることは、大きな喜びです。毎日、社員たちの様子を見ているだけで、飽きることがありません。製造業の現場を数百社訪ね歩いた経験も、いま思えば、人と向き合う仕事への布石だったのかもしれません。
まだまだ宮崎に来て日は浅いですが、これから少しずつ、宮崎ニアショアセンターがどんな道のりを歩んできたのか、このブログでお伝えしていきます。次回は、来日直後のメンバーたちが経験した、忘れられない出来事についてお話しする予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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登壇者プロフィール

グローバルイノベーションコンサルティング株式会社
Talent & Recruitment Solution 事業部
1994年 東京入国管理局成田空港支局と霞が関で勤務。
2002年 渡タイ。ツアー会社と法律事務所を設立。
外国人労働者の正規の在留資格の取得及び更新手続き等(警察、病院、裁判所等との調整業務を含む)
撮影コーディネート・ロケハンのサポート業務。日本の在留資格取得を希望するタイ人向けコンサル。
2022年 帰国、都内行政書士法人に勤務。
2025年 3月に独立し、GICイミグレーションサービス行政書士事務所を設立。
山地 幸
やまじ みゆき